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VisitorCast'sVoice

WHO CAN ENJOY

SHAKE CIRCUS?

何かを学ぶ・教わるということには飽きている好奇心旺盛な人、思考ではなく感覚・体感の世界を味わいたい人

言語表現の限界を

突破したい人

自分の感覚・意識を

覚醒させたい人

自分の内面を

掘り起こしたい人

​新しい遊びに出会いたい人

シフトチェンジを

考えている人

HOW

WAS

SHAKE CIRCUS?

緊張感があるはずのライブアート中に、極度のリラックス状態に入り、とんでもなく心地よかったです。 あの日、あの場、観客含めあのメンバー構成だったからこそ、あの心理的作用を受け取ったのだと思います。一期一会。次にお伺いする機会も、楽しみにしています。

真っ白な紙が置かれた無機質な会場。 徐々に参加者たちのエネルギーと、アーティストの熱気で満たされてゆき、まるで生きているようでした。 アーティストは参加者のエネルギーを吸い上げるように、場のエネルギーを感じ取っているようでした。筆先から指から紡がれる色彩は、喜び、悲しみ、怒り、希望…様々な感情が渦巻く、まさにテーマからは想像できないものでした。 目の前で描かれていく絵は、まるで即興のライブセッションで、同じものは二つとない、唯一無二の表現に、ただただ圧倒されました。 本当に五感が刺激され、脳みそを揺さぶられるような刺激的な体験でした。また是非、参加したいと思います。

目の前で立ち現れた絵によって、 こんなに輝いている今ですら、まだ自分がくすぶっている、つまりもっと輝けることがわかった。 くすぶりの中でも、小爆発のような輝きを起こしていることを実感し、くすぶっていること自体も宇宙全体から見たら調和していて美しいのだと気がついた。全てが愛おしく、輝いていても輝いていなくてもどこを切り取っても世界は美しいのだと安心感がもたらされました。

作り込まれた世界観に没入した上で、その場の来場者の振動数を感じて作品になっていくSHAKE CIRCUSは、潜れる深さや体感として得られるものが大きく違うと感じました。 紙に書いたキーワード・描かれた絵から感じる感覚・その後つけたタイトル、どれも思考ではなく瞬間的に降りてくる言葉が繋がっていく感覚が爽快です。

特に今回は"衝動"というテーマから、いろんな瞬間の衝動が想起されました。激しい衝動、静かに味わいたい衝動、流れを感じる衝動、瞬間的に放つ衝動、ジワジワひろがる衝動...それは、幸子さんが目の前で描く立体的な表現を通じて、自分の中の多様な衝動を受け入れることを、ゆるして解放していく感覚でもありました。 そこから生まれた"啓く"というタイトルにつけたキーワードは、自分のこの先における大切なヒントになったように感じます。

自分だけでなく、他の方の振動や周波数、在り方等も可視化されることで、このプロジェクトの面白さをより痛感できました。何が立ち現れるのか、想像できない展開がうまれていくのがわかるので、またリピートしたくなります。

絵が生死だとしたら、ライブアートは人生。 そう思いました。 人間の命は、結果だけ見たら、生まれました、産みました、死にましたの3つに集約されると思います。人生を楽しむと思ったときに、この生・産・死という「結果」だけに着目することは、シンプルで何だか寂しい。それ以外の「過程」を楽しんでいくのが、人生の醍醐味ではないでしょうか。

そう考えると、絵は結果、ライブアートは過程。 SHAKE CIRCUSで、作品が完成する「まで」を楽しむ時間は、そこにしかない快楽がありました。 SHAKE CIRCUSの魅力はずばり、その快楽性。

テーマのシャーマンと化したキャストが、ヌラヌラ、ベチャベチャと、思うがままに色彩と戯れていきます。彼女は身体性が高いので、空間を猫のようにしなやかに移動します。まずそれが、見ていて美しいし、気持ちいい。 たとえば私が見た光景は、薄くて水っぽい墨だまりに、金色の絵の具の飛沫をちらせたあと、その墨に金色がフワァァーと滲み、静かに混ざり合っていくさま。それそのものが美しく、官能的。うっとりしてしまいました。 みずみずしい絵の具たちは、上から被さり、下の絵の具や水分と混ざり合い、折り重なっていく。色彩どうしが、あっちこっちで関係性を結んでいきます。乾いたら、おしまい。ちゃんと目撃しなくては。あっちこっちに官能的な光景が点在している。感性が忙しい。この、具現化したテーマが乾くまでの過程を感性で観察し、愛でるのが気持ちいい。新感覚の快楽。キャストは、我々の欲求を代弁して動きます。 振動数に応じてキャストは動くので、彼女を動かしたかったら振動を送りましょう。ゲームでアバターを動かすような感覚で、もっとやれ!そこ!と念じるのです。作品ができあがる頃には、美意識がお腹いっぱいになります。 できあがった作品は、みんなで思い思いに転写したあと、破棄するそうです。そう、これは、結果を楽しむものではないのです。一夜限りの華が咲く。そういう意味です。なんと粋なのでしょうか。

それはまるで極上のエステのようでした。帰り道、ちょっと綺麗だったと思いますw

仕事終わりにライブアート、って超贅沢ですね。

職場←→会場のドラスティックな場面展開、コントラストが最高でした(これも織り込まれた演出の一つかと思うほど)

究極の生物(なまもの)。鮮度抜群でいただく贅沢。ライブであり、ジャズであり。

目の前の絵だけではなく、今日起こった全てのことも  振動数の共鳴によるもの!?と、気づくおもしろさ。

ご一緒したみなさんとジャズするたのしさ。

 

自分の価値観、ワンパターンな思考回路が目の前に浮かび上がる絵に、がらがらがしゃーん!と覆された感覚 。

”みずみずしい”という言葉からはじまる一夜。

 パッと思い浮かべていたのは”水や緑”のイメージ。....できあがったのは正反対の絵。

煌びやかであり、爆発的で、無秩序のようで。 "え、みずみずしいってなんだったっけ?"

アーティストが浮かび上がらせてくれた圧倒的な”みずみずしい”世界から受ける膨大なインスピレーションを受け取り、自分の狭い発想をでて、新しい答えを探しに行く。予定不調和という調和。 

 

立役者のみなさんのお仕事、見事な黒子の様。 余計な気配も息もすっかり潜め、おかげで、参加中、自己の意識に集中・没入できました。 素晴らしい空間をありがとうございました。

使える感覚機能を全て静かに総動員して、私の細胞一つ一つにその瞬間の記憶を伝えていったそんな時間でした。

感じたことを感じたままに差し出す。その繊細な感覚の神々しさを味わいました。

CASTがまるで絵の妖精のようで可愛らしく印象的で、深く考えるよりそのまま感じたままにしよう、と思いました。帰り清々しい気分になりました。妖精の不思議な光を浴びて子供に戻ったような新鮮な気分です。

絵を描くということが、一種の宗教的な儀式に見え、その所作が舞にも見えました。絵を描く時に、こんなに何かが憑依するものなのか?と感じ、衝撃的でした。

パフォーマンスって「何かを極め、その瞬間にエネルギーを注ぎ込み魅せるもの」というイメージでしたが、このSHAKE CIRCUSでいうパフォーマンスは、「その瞬間に生まれる創造を、その瞬間で自由に味わい尽くすもの」という全く別物に感じます。 形に残すための絵ではなく、その場にいる人たちだけが自分たちの震えを体感するためのライブアート。なんて贅沢な時間なのでしょう。

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